ショートショート
Taika Yamani.
「一つの選択」
子供の頃から女の子みたいな外見の男の子と言われてきた信介は、ずっとそれが嫌だった。だがだからと言って、それはあんまりだった。中学一年生の春、盲腸で入院したところ、仮性半陰陽なるものだと言われたのだ。男の子と思われていた信介は、女の子みたいな容姿の男の子ではなく、性器の見た目が男の子なだけで実は女の子だったのだと言う。
信介が受けたショックは大きかった。
医者は、性別適合手術で身体を完全な女性にすることを推奨した。ホルモンコントロールや逆方向の性別適合手術で男としてこのまま生きていくことも可能だったが、男性としての生殖能力は一切ない。遺伝子上は完全に女で、女性としてなら子供を作れる可能性があると言われたのだから、その意見も無理はない。
が、信介は頷かなかった。身体が本当は女だったからと言って、なぜいまさら女として生きていかなければいけないのか。男として生きていく選択肢があるのなら、それがどんなに辛い道であっても、信介にはその方がましだった。
だから信介は、どんな障害があろうと、男のまま生きていくことを覚悟した。
しかし、両親は散々反対して同意してくれなかった。彼らの気持ちを考えればそれも無理もないのかもしれないが、信介にとって理不尽な対応だった。
どちらを選ぶにしろ、行動は早い方がよく、喧々囂々言い争いをしている場合ではない。このままでは、卵巣や子宮がそのままだからいずれ生理が始まり、経血の出口がないことで別の問題も生じる。
信介の両親は当初、真剣に、一人息子――正確には一人娘――を騙すことを考えたらしい。信介に説得されたふりをして、卵巣や子宮の摘出手術を行なうと称して、逆に信介の性器を女性のそれにすればいいのではないか、と。
――肉体的には、これで信介は完全に女性にされてしまった。
インフォームドコンセント抜きの行動がどういう結果を招くかという例が、その結果生まれる。
信介は両親を許せなかった。自殺未遂を何度も起こし、病院の精神科のご厄介になることになった。結局信介は中学の三年間を登校拒否ですごし、引きこもりの生活が始まった。高校にも行かず、ずっと一人で鬱になって過ごす。
両親は何とかしようと、外に連れ出そうとしたり、カウンセラーを呼んだり、信介の昔の友達を呼んだりしたが、いずれも逆効果でしかない。
それでも最初は、両親もがんばった。もうどうしようもないことなのだ。受け入れて生きていく以外に何ができるのか。
だが信介はこの頃になると、手術で形だけ男になることすら放棄していた。生きることすら、と言ってもいい。まがりなりにも自前でついていた男性器を切り取られたのだ。いまさら別の形でそれを造ることで自分が慰められるとも思わなかった。
たかが男や女、ということもできる。だが信介にとっては軽くはなかった。自分で選んだのなら、前向きになろうとしただろう。最初から選択の余地がなかった場合でも、すぐに諦めきれたかもしれない。だが、男として生きていく覚悟を決めていた状態での裏切りは重すぎた。信頼していいはずの両親によってそれがなされたのもきつい。
そのまま時は流れる。
ことさら貧しくはない信介の家だが、特別に裕福なわけでもない。
信介が四十の時に、六十歳後半だった父が、まず亡くなった。娘の世話で疲れていた母も、すぐに、後を追うようにして亡くなってしまう。
残されたのは、もう五十にもなるのに、生活能力のない信介だけ。
この頃の信介は、ただの年をとったおばさんでしかない。
餓死は楽ではなかったが、信介にはそれしかできなかった――。
もしも本当に両親が信介を騙していたら、そんな未来になっていたかもしれない。自殺未遂が未遂ですまずに、もっと早くに終わっていたかもしれない。
両親は、うすうすそれを察した。結局彼らも、信介の意志の固さに折れた。
もちろん、それもそれで茨の道だった。だがそうわかっていても、彼が選びたい道はそれしかなかった。
まずはホルモンコントロールに始まり、少し時期を置いてから、性別適合手術が行なわれた。信介はこれで、女性としての生殖能力を完全に失った。彼は以後度々後悔をしたが、それは女を選ばなかったことをではない。その時点で死を選ばなかったこと、選べなかったことにたいしてだった。
高校、大学と進み、何度か恋愛をしたが、長続きはしなかった。性生活における問題もあったし、彼の方がやはり一歩引いてしまうせいもあった。子どもを残してあげることができない、ということは、男にとって軽いことではない。
だが恋愛だけが人生ではない。
親友といえるくらい仲がいい友達もできたし、信介は前向きになれた。その分のエネルギーを他に回し、趣味を作り、社会に出て仕事に夢中になる。人と少し違ってはいても、充分充実した日々を送ることができた。
そのまま老いて死んでいっても、信介は悪いとは思わなかっただろう。
それでも、三十歳を過ぎた時、信介は一人の女性と出会った。年上の子持ちの女性。彼は彼女を気に入ったが、それ以上に気に入ったのは彼女の幼い息子だった。
愛情と打算と。二人すぐに結ばれて、結婚した。
が、五年と立たずに破綻してしまったのは、どちらに責任があるのだろうか。彼女の浮気が最初に表出したきっかけではあるが、彼女のせいなのか、彼女を満足させてあげられなかった彼のせいなのか。彼女はそれをわかっていながら結婚を承諾したはずだが、彼はそれを責めなかった。
二人、離婚はしなかった。
彼女は二度目の離婚を回避したがっていたし、彼の経済的保護を必要としていた。彼も自身の社会的立場への配慮と、なによりも義理の息子と離れたくないという理由があった。
それはおそらく、代償行為だったのだろう。自分の代わりに、自分ができなかったことを子供に託す。
信介は男親として、与えられるだけの物を子供に与えた。一歩間違えるとスポイルしてしまいかねなかったが、血の繋がりはなくとも、いやだからこそなのか、最初は距離があった息子も、自然に彼を受け入れてくれた。
信介の生活は、穏やかで明るいものになった。
が、二十歳半ばに結婚した息子は、三十になる頃に、一人の孫娘を連れて離婚してしまった。「こういうところで実父の真似をしなくても」と、信介は思ったが、しっかりと孫を確保したのは褒め称えた。
さらに五年も経つと信介は六十歳になり、仕事を引退する。息子も再婚して、二人目の孫を産んでいた。幸い息子の二度目の嫁は、信介とも息子とも相性はよかった。夫の連れ子である長女にも充分優しい。
血の繋がりはないが、温かい家族。
信介は二十数年後、孫娘の花嫁姿までしっかりと見て、いくつかの季節を過ごし、病院で息を引き取った。
おしまい。
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初稿 2004/06/29
更新 2008/02/29